冬来たりなば春遠からじ2.0 Daily 

A Day in the Life. ” there ” そこにある日常の光景 2代目。

Category: 日記・情景  

◇ 雁木発祥の地 津川

雁木の町

和製アーケード「雁木」の発祥の地、そこ設置されたポストの投入口は道路に向いているのでなく、雁木の通りに向いていた。
それを見て「そらそうだわなあ。」と僕は見ながら納得した。

上町雁木の通り

津川町は坂の町、そこに雁木あるのだから足場は坂に合わせ段が多く、慣れない街撮りしながらの僕は時折踏み損ねた('◇')ゞ
当然、当世のスマホ歩きするにはどうなんだろう。

上町の雁木

雨の中の安心感、雪でも歩きやすいなのだのだろうが、この日は晴天。

雁木の通り

雁木の通りにはパス亭もある、この屋根のある安心感なのだろうが、モータリゼーションの時代にはその有難味も微妙になってきている。

津川中町

「雁木」の説明文を読むと建長15年(1610年)に津川の大火後とある、それって例の「大阪城の冬の陣」のあたり、徳川家康が難くせつけては
豊臣側を刺激していた頃、400年前。
そんな時代の雁木の町を想像すると、それって凄いじゃないのかと思えてくる(※当時は、ここは会津領だった)。


Category: 日記・情景  

◇ 蛭野の午後

蛭野の田んぼ

僕のお気に入りの場所である、銀杏の季節になると正面の木が黄色くなり、午後からは柔らかい日差しが当たる。

蛭野の風景

その銀杏の季節に訪れた時、ただそれだけで良い風景なのだが、ここで兄弟であろう男の子がキャッチボールをしていた。
その奥では、お父さんが家の冬囲い作業、あまりにもそろい踏みの光景に「やったね!」だったが、その日は広角レンズのみだけだったので、
遠い感ありの「なんか違うなあ。」と望遠があったらと撮っていると、後から来た奴が「これは~w。」と望遠レンズで撮り始めた、
その動作に僕は獲物をさらわれたような気分になり「撮るなよ、オレが見つけたんぜ!」と云わばんかりの悔しさを今でも覚えている。

杉並木の大木

慈光寺までの杉並木の参道、苔むした大木が並ぶ、その以前は一本触れパワーをもらった。
これが雨の日には、そこにむす苔が正にモスグリーンの美しい色を出すのである。

慈光寺山門前

左は慈光寺山門前になる、真っすぐ行くと白山の登山道になる、登山者の姿を何度も見ているのでこの先はどうなっているのだろうかと
行ったことがある、途中まで山道らしきものがあったが、突然その道がなくなりよく見ると45度くらい斜面に足場のような痕があった。
ここを登るだろうか?と、スニーカーと重い三脚とカメラを抱えた僕には「うっそー!」だった、即僕はそこから引き返した。

慈光寺の本堂

「そろそろかなあ。」の気配もなく、突然のように北陸は梅雨に入った。
その梅雨の時期に訪れると参道の杉に生える苔の緑が実に綺麗なのである。しかし同時にそれは虫の季節でもある、撮っているの耳元で
ブンブンと飛んでくるブヨ・やぶ蚊。なので帽子、長袖と装備していくのだが、しかし撮るのに集中していると、後で鏡で自分の顔を見ると
顔が腫れて変形していたりしたて大変ではあるけれど、緑の苔に撮ることに集中していると充実感というか癒されるのである。

Category: 情景・モノクロ  

◇ 山寺の硝子窓に映る緑

緑映え

良い季節である、この緑色が白だった季節も来たことがある、寒い白よりも暖かい緑、歩きやすい緑の今が好き。

履物

顔がある訳でもないけれども、妙にプライベート感があった。

窓

何度も何度も来ているけれど、「もう一歩。」奥へと足を踏み込むようにお寺の裏へとまわった、本堂、庫裡の裏はすぐに山だった。

お寺の裏

そこは自家用焼却炉が並んでいた、それは当家にも欲しいくらいの光景だった、時折燃やしてしまいたいが燃やせない、ゴミとして捨てるのには
忍びないようなモノ、昔の手紙とか想い出のあるモノ、「これがあったら燃やせるなあ。」と羨ましく思った。

慈光寺本堂

でもよく考えると、そってある意味「葬る」になるのではないだろうかと、お寺の裏の焼却炉を見て思った。

が、実情はそれは山奥のお寺ではならではの落ち葉だとか、寺院としての仏様関係などの処理になくてはならないのかもしれなかった。

実は、ここの目的は緑の季節になると、本堂で緑床が見れるから、別段有名でないので知っているのは年中通して何度も訪れないと
わからないのもだが、その緑緑を狙って行ったが見えるの居間(右の入口奥)の障子が閉まっていて、緑のみの字も見えなかった。

Category: 日記・情景  

◇ 寺院(慈光寺)の窓のある風景

慈光寺の窓

長い年月の太陽の日差し、雨、風、雪によって出来た木造の質感には、いつも渋さと懐かしさを感じるのだが、それは僕が昭和の人間だから?
プレハブ工法だの柱のない家の平成生まれの子供だったら感じ方も違うのだろうか。

庫裡入口

その廊下には、「これが木魚の謂れなんだな。」と大きな木魚がぶら下がっている。

廊下と木魚

そんな庫裡の廊下に嵌った窓の表と裏側から。
以前訪問撮影中に大雨、これでは引き上げるに引き上げられないなあと雨空を見上げながら「困ったなあ。」と思いつつ、

慈光寺の廻廊と消火車

だったらと廻廊形式で囲まれた寺院内を撮影でもするかと広い院内をウロウロと雨に濡れずに自由に移動できる有難さと嬉しさがあった。

慈光寺

僕は、寺院訪問して綺麗でも大きくと鉄筋コンクリートのお堂だったり、山門だと「なんだかなあ。」と撮る気は失せ参拝記念撮影程度で出る。
土間はコンクリートであっても建物が木造は有難い。


Category: 日記・情景  

◇ 廻廊の火灯窓のある風景

慈光寺の若葉

山門前の緑に目線をやり「いいねえ!」する、曇り空でピリッとしなかったけど、この緑を見て「来た甲斐があったぜ。」と思う。

廻廊の火灯窓

廻廊の漆喰にもその緑が薄く映えていた。ずいぶん前だが、この廻廊を初めて見た時に、火灯窓が曲がっていると思った。
答えは簡単で廻廊自体が坂になっているだけなんだけど、当時はまだ若い僕は「なんじゃこれ?」だったと今での記憶がある。

明白山

本堂の龍の鴨居の彫刻、曹洞宗系の寺院は寺名に「龍」のつく寺が多い(雲、長、安)、また寺のどこかに龍が描かれていたり、彫刻されて
いるのを見ると「ここは曹洞宗だったのね」とわかることがあるが、それだってカメラを始めてお寺をまわるようになってから、カメラは勉強になる。

登山者のいる風景

その登山者が白山から下山途中に、ここ慈光寺には綺麗なトイレもあるし、そして手を合わせる姿もよく目にする。
靴は泥で汚れているので、みんな足底を流れで洗ってからのようだった。

山門前の緑風景

境内からの山門の向こう側の風景、前は白山の登山道になっている、僕は大体ここは午後にやってくるので下山中の登山者の姿をよく見る
いつも感じるのが登山者の年齢層、それは僕よりだいたい上、家に帰れば「じいちゃん、ばあちゃん」と呼ばれ破顔するような年齢層が
目立つのだが、いつもその健脚さに感心するのである。


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