◇ 外出自粛のノー・カメラ週末のため、遠い思い出の尾道 猫の細道

せっかくロープウエイで千光寺山の頂上から下りてきて「やれやれ。」なのだが、尾道の山手地区はそう簡単には問屋は卸してくれない。
地上まで降りて戻ってきても、また坂道を登るのである、そんな坂があちこちここも、ここかあとたくさんある。

その一つが、「猫の細道」なぞと名前がついた坂道があったら、気になり足の疲れも忘れ坂道を登っていくのである。

「長江一丁目3」の標識の裏側は、艮神社(うしとらじんじゃ)、その上空見上げれば千光寺山ロープウエイが通過するのである。

「ほー。」感心しながら登って行くと、「うへえ。」こんな所にこんな場所があったのかと、尾道の奥深さ、また坂の階段の多さにうなりたくなってくる。

記憶では、そんな時に買い物かごをぶら下げたおばちゃんが、「ふうー。」息をつぎながら、慣れたもんだと云わんばりの足取りで登って行った。

ジブリ作品に出てきそうなこの雰囲気は我が新潟にないし、滞在中の京都にだって見ない、初めて見るはずなのにどこか懐かしいような
光景に、なんなのここは?と不思議な気分になってくる。

尾道「文学のこみち」と「猫の細道」の融合なのかと、しかし細道のプライベート立ち入り禁止感ある雰囲気も、尾道の山手地区を歩いていると、
それが徐々に消えて「こんな所にもこんな場所が。」と気になって奥へと進んでいくのだけど、体力は縦横無尽に登ったり出来るほど体力はないのだ。

だいたい、この時点で尾道の散策は半分、見ると所ために体力は残しておかねばだった。しかしこんな階段を目の前したら気持ちは引き返せない、
「この先を行って引き返すぞ。」と決めてもまたその先が気になる、奥へ奥へと迷宮に足を踏み入れるしまうのであった。

園山春二氏の尾道に放たれた猫、888体あるらしい。素通り気味のような旅人にとっては到底888体なんて見つけられないだろうが、
ここ猫の細道で、数体見つけただけで満足ってもんだ。
そして尾道の山手地区に出現する本物の猫たちは、普段の街で見る猫とは同じだけれど、どことなく警戒心はなく、人馴れしている。
階段にいたり、屋根にいたり、木陰にいたりとこちらを見ながら様子を見てはお気に入りの人物が通ったら「にゃあ~」となくのかもしれない。
私場合、人慣れしているのかと、近づけば逃げた。
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