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◇ 脇川の今昔物語というか、遠い記憶

犬山にゃん太郎

脇川漁港と脇川大橋

脇川漁港と国道345号が走る脇川大橋

村上市脇川

現在は国道345号が脇川大橋を走っているので、車の通行どころか、大型トラックですら全く問題ないのだけど、30年前くらいは、
大橋もなくここを車で通った。

脇川のメインストリート

当然車はすれ違いなどできないので、集落北と南に交通整理する信号があった、約10分だったか片側の車は止められ反対方向をと
交互の通していたのだが、この10分が実に長った、あまり長いのでどうなってんだ?と車から降りて様子を見た記憶ががる。

サンダルと軍手

それを今は、のんびりとカメラをぶら下げて脇川地区を散策するとは当時は当たり前予想すらしなかったはず。

脇川のJR羽越本線下

6月末の山形、新潟での地震はこのあたりは震源地に近かったと思われ、気のせいかJR羽越本線下したのコンクリートと擁壁のヒビが
やけに僕は「まさか~。」と気になった。

JR羽越本線脇

ともかく、脇川大橋が出来る前は、ここがメインストリートだった、それも片側ずつの一方通行、たまに通るよう部外者一過性もので終わるが、
ここに住む住民にとっては、「どんなものだったろうか?」と歩いてみると静かな通りだけど、片側ずつの一方通行当時は、やっと信号が変わったかと

脇川の

狭い脇川地区のメインストリートのぶっ飛ばしいたのでは思う。
10分間の交互で進めたらよいが、交通量が多いと信号の切り替わり1回で無理で、2回となると通れるが20分待ちとなった。

そんな信号のあり交互通行の地区が村上市の345号にはいくつかあったような、今では海辺に道路を造りスムーズに走れるようになり、
そして今では、当時の交互通行だったいくつかの集落を、僕は見んな歩きまわった。
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Posted by犬山にゃん太郎

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