◇ ストック整理 5月

田中町の裏路地、以前は奥に幼稚園があった、時に園児の声が聞こえてきたり、お昼寝用の小さい布団が干されていたりして
西日が当たるそんな光景を被写体としてよく撮っていたが、今は幼稚園は引っ越し園児の声も、お昼寝布団も撮れなくなった。

これだけ見てもわからないだろう、美術館の裏にあるトマソン的階段である。広い立派な階段だけど階段を登って行っても何もない空き地になっている。
なので本来の目的をどこへやら利用している人がいるのかどか。

西堀会館 この路地、こんな細いが Google street viewでは通れるのである、それを発見して知っているだけに僕は笑った。

巨大なカニのような爪でガガガと取り壊し作業していた「三業会館」、へえ~と眺めいたが、今はその建物はなく、工事終わると僕には
失恋した後のようなポカンと空いた穴ような風景になった、現在は白線が引かれ駐車場になっている。

鍋茶屋の白門、時には紅白幕が引かれているが、GWに前を通るとその日は門が閉まっていて、久しぶりのその光景を見た。

その前の「鍋茶屋通」、かつての柳都新潟の色街の雰囲気が残る。

勝手に弘願寺の弘法大師像あるので「弘法さん小路」と僕呼んでいるが、来年には正面の三越は閉店で、通りを歩く人の姿はかなり減るはず。
この日、スマホ片手にのろのろ街を歩く光景があちこちで見た。

2010年に新潟三越と伊勢丹は統合し、一時は両店舗をシャトルバスが走ったこともあるが、新潟三越は2020年閉店なる、約40年見ていた
三越を今は撮るだけ、10数年使っているここで買った小銭入れ、当時は高い!中に入れる小銭より高いと感じたが今では良い物、これが三越だった。

法音寺小路、訳がわからん落書きでもあった方が街らしい、ずっと昔から描かれているが今話題のバンクシー的タッチ、これがバンクシーなら、、、

古町3の路地、以前は右は喫茶店で、店内のお客の目線を感じなら撮った事がある、この先には超願寺があるので「超願寺小路」と小路名が
ありそうだけど不明。

白山公園に梅が咲く、咲いたばかりで周囲の香りまだまだだけど、みな春を感じたいと咲いた花に鼻を近づけ春を感じとっていた。

みなとぴあ 旧税関でも梅が咲いた、この時は周辺には梅の香りが漂い「春が来てねえ。」と感じた。

信濃川右岸に係留の消防艇、この赤いコックが好きである、何年、何枚撮ったろうか、しかしこの黄色い「立入禁止」テープは初めて見た。

そして、その消防艇の定位置に着いたのが、「これだった。」、これも消防艇なのか?旧型のコックの部分には水上バイク装備、他眺めると
やっぱり今風らしかったが、ロートルの僕には、今までの消防艇が好きだった。

柳都大橋下と信濃川

本町通にある「白龍大権現」

2011年震災以降、派手な行為が憚れる雰囲気で、大きい神社より僕はここで手を合わせた記憶がある。

トキ=学名は「ニッポニア・ニッポン」なので国鳥ようだけど、国鳥は「キジ」である。先日その野生のキジが「ケーン、ケーン」と鳴いていた。

羽根が薄いピンク色を朱鷺色などと言うが、この時は繁殖期に入ると黒くなるを説明で聞いた。

三条本成寺、県内では山門、本堂の大きさは一番、塔頭を持つ寺としても他にはない、越後のミケランジェロと言われる石川雲蝶の彫刻がある。

本成寺塔頭の「静明院」の「亀」

本照寺の門の破風板には左右4体、龍が。

山形県鶴岡市鼠ヶ関の弁天島から粟島。この辺りから山形県を北上していくと、海岸線が新潟と違うのがわかる、それは岩場とその岩場をコンクリートで
固めていること、多分山形庄内地方の昔からの釣り好き文化から来ているものかと。

鼠ヶ関港、一夜干しするめが売っている、一枚700円、これがあぶって食った日には、これは酒なしには考えられない、塩加減は海の塩味。

鳥屋野西方寺旧跡、古くは親鸞聖人も三年越後のここで過ごしたいわれる。

その西方寺旧跡の裏に竹藪があり、親鸞聖人使用の竹杖を土について、「吾が弘むるの法仏意に叶わば、此の枯竹蘇生すべし」とすると
その枯竹根を生じ芽を発すとある、その中に逆竹と呼ぶ葉っぱが逆さに伸びる竹が交じるようになり、鳥屋野逆竹と呼ぶようなったらいと説明版にある。

思っていたより広かった、逆竹には赤いビニールテープが結ばれていた。

鳥屋野神社

鳥屋野神社からラウンドワンのボーリングピン。

境内には桜かと思ったが梅だった。


乙宝寺、この参道脇は桜の季節には咲き乱れるのだが、毎年行っているが今年は行かなかった。

乙宝寺本堂前、赤い建物は地蔵堂。
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