冬来たりなば春遠からじ2.0 Daily 

A Day in the Life. ” there ” そこにある日常の光景 2代目。

Category: 日記・情景  

◇ 12月のストック整理 お寺ばっかり篇

雲洞庵


新潟県南魚沼市の雲洞庵。


雲洞庵赤門


雲洞庵の赤門、僕には久しく行ってない日光東照宮を思い出した、どこがどうというよりも歴史を感じる雰囲気である。


参道の石畳


赤門前、ここから本堂へ続く石畳の下には、一石一字ずつの法華経が埋められたおり、「この石畳を踏みしめてお参りすると、
罪業消滅・万福多幸の御利益に預かると信仰されております」らしいのだが、


雲洞庵参道


僕はお経の上を歩くなんて”恐れ多いような”だったけど、あちこち撮るのに僕は他の参拝者よりも、この上をウロウロして踏んでいる時間が長かったかもしれない。


裏庭


本堂裏、季節もあったのだろうが開け放たれた窓から顔を出して眺めると空気はひんやり、それも冷蔵庫を開けた時にひんやりと違い、
さっきまで悩んでいたことが、「それだけでなに?」と気持ちが癒されるようなひんやり感だった。それは傾斜には緑いっぱい、太い杉、その奥には蔵、
木造の本堂の光景の全部がそうさせているのかもしれない。


裏庭の蔵


よくよく考えると、蔵がなんでここにあるのか、本堂前でも本堂隣でもいいのに、わざわざ離れた場所に、それでいてこれもありだなあの風景になっていた。


本堂前


本堂の内陣前から見た参道の光景、現在は石橋は渡れない、写真左が本堂の入口となる。


内陣


本堂の内陣、ここでは三脚を使わなけれ撮影OKなので、寺院によっては撮影禁止、禁止なんて書いてなくても撮るとなる「やましい」ことをしているような
そんな気持ちにもさせるのだが、「撮影OK」っていうのは、撮る側も堂々撮れるのだが、それだけにいい加減には撮れなかった。


座禅堂


座禅堂まえの廊下を見て、僕は懐かしいような気持ちなった、木の廊下、板壁、木枠の窓、に自分の通っていて小学校を思い出した。
そういやあ、授業が終わって掃除は廊下は雑巾がけだった。


雲洞庵の大池


本堂裏にある大池、寺院の池の光景というよりも、どこかの高原のホテルの池のような清々しい碧の光景だった。


客殿の2階


本堂から長い廊下渡ってくると客殿につながる、階段を登り2階へ上がるの長椅子、そこに座ってじっくり緑のお庭を眺めていたらいいのだろうが、
僕は座ってまだ他が気になってジッとしていらぜずにいたのは2分だった。


客殿前のお庭


客殿2階からお庭の光景、この時は紅葉にはまだったがモミジの葉っぱは散り、緑の草の上は掃き掃除中。


観音堂前


本堂と客殿を結ぶ廊下の途中にある観音堂、その前の庭風景。


客殿玄関


客殿の玄関の窓、参拝者の客殿の出入口ではなく、檀家さん法要・法事ようの玄関なので、一般参拝者の出入は出来ない。


観音堂


長い廊下の真ん中にある観音堂は、千手観世音と百体観音が安置されている、新潟県で千手観音を拝めるとは思っていなかったので、
正直「え、えっ!」てな感じでちょっとびっくりだった。




新潟市西蒲区 種月寺、雲洞庵は曹洞宗だが、ここも曹洞宗派寺院。
夏の終わりに訪れた。庭の真ん中のモミジを見て「来るなら秋だったなあ。」と眺めていたが。


種月寺玄関


「うーん、緑ってシブいんだ。」と僕を唸らせ、開け放たれた戸に窓の開放感が一層、僕を魅了し「寺まわりも良いなあ。」と思わせた。

種月寺お庭


子供頃に、自分ちの庭にこんな苔が生えていた、子供の頃だから苔のシブさなど分かろうはずもなく、釜でゴソゴソと掘り返すようの苔を削いだ記憶がある、
今なら絶対にそんなことはしないが、もっとも家を建て替えてから、そんな緑のスペースはなくなった。


種月寺回廊


そこそこに立派な寺院には回廊があるのだと僕は思っているので、こんな光景があるとついつい撮る、まして地面は踏み固めらた土である。
天井にある竹は、冬の雪吊り用のものかと。


弥彦山にて


本当に久々に弥彦スカイラインを登り弥彦山山頂へ、車で初めて登った当時はまだまだ運転は未熟でスカイラインのクネクネ山道に背中に汗をかきながら
運転した記憶がある、今ではひやひやよりも、”山道の運転の楽しさ”なんてのを越え、ハンドルばかり切るのが 「またカーブかよ~。」と煩わしくなっていた。





そしてふたたびの種月寺、秋に行ったが、、、「もう遅かった。」。

遅すぎた秋


木の葉っぱはみんな散っていた、赤いモミジの絨毯なんて言い方もあるけれど、絨毯に水がどばーと掛けられたようようだった。
そんな光景なのでか名刹の庭も誰もいなかった。


三十三観音


「あーあ、遅かったか。」とがっくりした僕を仏様は見捨てなかった。


三十三観音の堂


ガックリして帰る僕の目に 「あるじゃん、あるじゃん。」と三十三観音のお堂の前にそれはあった。

はらり、はらりと散った黄色いモミジの葉っぱを見て、僕は今日の目的は果たしたような気になった。


西国三十三観音


ここへ来るまで赤いモミジの光景ばかりイメージしてきたせいか、参道を歩いている時には黄色い紅葉に気がつかなかったかも、
どこかで写真家が撮影時にあれを撮る、こう撮ろうとか目的、目標を決めると他の光景が見なくなることもあるので、常に頭は「どう撮る。」と決め付けない方がいいと。


はじめの「雲洞庵」、後の「種月寺」も曹洞宗寺院、いつも行く杉並木の「慈光寺」も曹洞宗。
曹洞宗つながりの寺院、年の瀬 「ゆく年くる年」くれば やっぱりお寺でストック整理も締めくくり、どことなく除夜の鐘が聞えて来くるかも。

杉並木の三十三観世音


慈光寺の杉並木にある三十三観世音、その昔仕事に悩んだ時、ひとつひとつに手を合せた事がある、実際は写真を撮りにきたのだが、
他にもある地蔵さんに手を合わせたら、ここもだろうと全部に手を合せた、それからすると種月寺の三十三観音は一つにまとめ的で、良いのだけど。


杉並木の慈光寺参道

この日は雨である、そんなお天気に好機として出掛けた。
写真家石橋睦美氏は、四季がありそして湿気も多い日本の神社仏閣は、雨が似合うという。だから撮影するなら日本の神社は「雨の日がベスト」なんだとか、
そんなことが頭にあり、僕も雨の中を歩いたが口でいうよりも雨の中の撮影ってけっこう大変である。


慈光寺本堂


そんなお天気は、参拝者は少なく僕の歩いた頃は杉並木の参道を二人だったか帰る人とすれ違い、どうも僕が最後の参拝者のようだった。
本堂に着き、回廊を歩いているとお寺のお坊さんに「うわー!」と驚かれた、雨の日の午後4時を過ぎた頃には誰も来ないと思っていたのか
僕がカメラをぶら下げてぬれねずみ状態で現れる、ここのお坊さんでもびっくりするんだから、僕だってびっくりだった。


本堂と庫裡


ここまで歩いてきた時は、小降り、まあまあ何とか我慢も出来たが、本堂見た雨と雨音で、「あや~。」、これから雨の誰もいない参道を歩いて帰るのかと
思うと気が重くなる雨だった。


座禅堂


広いお寺に誰もおらず一人のような状態、堂内はシーンとしているが、外からは雨音が聞え、そして少しずつまわりは暗くなってきた、
建物内部だって蛍光灯が点いている訳でなく暗い堂内である、当然心細さも出てくる、”引き上げ時”だと思っても、暗く、心細さがかえってもう一枚、もう一枚と撮らせた。

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